About 私たちの思い
ヒストリー
わたしたち「寛閑観」を運営する「株式会社もりしま」の歴史の源流は、明治初頭、地元を代表する近江商人、竹中久次と森嶋留蔵兄弟の類まれなフロンティア精神に存します。
仏教の強い影響のもと、古来より日本では食肉は長らく禁じられてきました。その影響から日本人が解放されたのが、江戸時代の鎖国につづく、明治の文明開化以降です。西洋から多くの文物が輸入され、それは食文化までも大きく変化させたのでした。蒸気機関車、ガス灯、レンガ建築、そんな文明開化のシンボルのひとつに数えられるのが「すき焼き」の前身、「牛鍋」でした。
明治初頭、横浜を中心にした外国人居留者の増加に伴い、食肉という新しい食文化が徐々に日本人の間でも浸透していきます。そんな折、米商人として各地の情報に通じていた兄の久次は、関東方面での牛肉需要の急速な高まりを察知します。
見事な先見の明を発揮した久次は、それまで地方では農耕用としてしか肥育されていなかった牛が極めて商業価値が高いことを見出します。そこで地元近江から村の若い衆を雇い、牛20頭余りとともに、陸路二週間ほどをかけて、東京までの道のりを曳行したと言います。そして牛肉を常食とする外国人居留者の多い横浜などで直接取引を始めたのです。
脂肪交雑の良い但馬の素牛(もとうし)からなる近江牛はたいへんな人気を博し、数年後の明治12年(1879年)、東京浅草区茅町二丁目(現:浅草橋)に、近江牛の卸小売業と牛鍋屋を兼ねた「米久」を開店するに至ります。
八月の夜は今米久にもうもうと煮え立つ
ぎっしり並べた鍋台の前を
この世でいちばん居心地のいい
自分の巣にして
正直まっとうの食欲とおしゃべりとに
いま歓楽をつくす群衆
日本の近代詩を代表する詩人、高村光太郎が「米久の晩餐」という詩篇でその盛況ぶりを歌うほど、あるいは当時の人気コメディアン古川緑波が「牛肉が塔の如く盛り上げてあった」とエッセイ「牛鍋からすき焼きへ」のなかで「米久」の牛鍋に言及するほど、その人気は他の追随を許さないものがありました。もちろん、その背景にはインフラの整備があり、明治22年に敷設されたばかりの東海道本線によって、滋賀県近江八幡駅から東京へと牛たちの運搬が容易になったこともその流行に大きく寄与しています。そして20店舗以上を数えるまで拡大した「米久」では、毎日30頭あまりを売りさばくほどの興隆ぶりでした。
仮名垣魯文作『安愚楽鍋』(71頁、岩波文庫)より
そんな一世を風靡した「米久」は、しかし、たいへん残念ながら、関東大震災とそれにつづく大戦下の統制経済の影響により、ことごとく店を失う形となってしまったのでした。
戦後においては、昭和20年代、近江牛のさらなる振興を目的に、近江肉牛協会の設立に四代目森嶋正雄が大いに尽力します。その歴史的出来事として後世まで語り継がれるのが、昭和29年(1954年)の都内での牛を伴った大行進はじめ、セスナ機から落下傘で牛肉を新宿の住宅地に散布するといった類例のない大規模な宣伝活動でした。それにより近江牛の名声はさらに不動のものとなり、神戸牛、松阪牛と並び、日本三大和牛に数えられるものになりました。
その後、首都圏向けに高価になりすぎて地元離れが起きていた近江牛をなんとか地元の方々にも召し上がってもらいたいという一心から、地元近江八幡市にレストランを開業。五代目森嶋篤雄は文字通りこのレストランを40年の歳月をかけ天塩にかけるように育み、人気店に押し上げました。
そんな折のことです。竹中家の営む「米久」には、大正から昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失するまでの間に、その新組織として会員制美食会「春岱寮(シュンタイリョウ)」が東京麻布、芝公園内にありました。当時、伝説的料亭として名を馳せた北大路魯山人の「星岡茶寮」のライヴァルと目された「春岱寮」は、器をすべて加藤春鼎というひとりの陶工の瀬戸焼で統一し、前衛画家の絵画をはじめとした、当時の粋を結集したしつらえでお客様を深く魅了しました。その会員には、歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻や小説家の吉川英治、民俗学者の折口信夫、それに三井物産の礎を築いた昭和の大茶人益田孝男爵がおりました。
そこで、会員向けに毎月刊行されていた文化誌の名前が、「寛閑観」だったのです。そこには日本の歴史上はじめて「近江牛」と明記したお品書きが掲載されているばかりではなく、本来、牛肉を使用しない精進料理の流れを汲む懐石料理に牛肉の一品を盛り込むなど、いまでは当たり前のように流通している料理作法、その常識を最初に打ち破る斬新で大胆な試みがなされていたのです。
わたしたち「株式会社もりしま」は竹中家のご厚意からその歴史と由緒ある名前である「寛閑観」を引き継ぎ、創業者たちのフロンティア精神を忘れず、東京と近江の100年の時空を飛び越え、お客様を心から魅了すべく、いままた未来の大海原へと船出いたします。